日本と韓国の物語「第13回/若光(後編)」

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若光を祀る高麗神社




若光の墓

716年、高麗郡の新設によって、それまで駿河(静岡)、甲斐(山梨)、相模(神奈川)、上総(千葉)、下総(千葉)、常陸(茨城)、下野(栃木)に住んでいた高句麗人1799人が高麗郡に移住した。この事実は『続日本紀』にも載っている。
この高麗郡の長官になったのが、大磯から移ってきた若光だった。
すでに来日してから50年の歳月が過ぎていた。相当な高齢になっていたはずだ。それでも若光は率先して、高麗郡の開発に従事したことだろう。
現在、日高市にある聖天寺には、山門の少し右に「高麗王廟」があるが、これは若光の墓だと伝えられている。高さ2・3メートルの石塔であり、砂岩を5個重ねた構成になっている。
そもそも、聖天院は若光の菩提寺として751年に創建されたものである。この寺は、江戸時代に高麗郡の本寺として栄え、「院主の格式は諸公に準ずる」と称されたほどだった。




さらに、聖天院から北に500メートルほど進むと高麗神社がある。ここは若光を祀る神社で、若光の子孫が宮司を代々務めている。
このように、今の日高市には、若光の遺徳を偲ぶことができる場所が多いのである。
高麗郡そのものは、1896年に入間郡と合併になって、その郡名がすっかり消えてしまった。
ただし、高麗村と高麗川村という二つの村があったのだが、1955年に合併して日高町になり、1991年に日高市に移行した。
ただし、高麗川、JR「高麗川」駅、西武鉄道「高麗」駅のように、川や駅にまだ高麗の名が残っている。
さらに、気になることがある。
高麗郡が創設されて1799人の高句麗人が移住してきたが、その末裔たちはどうなったのだろうか。
高麗郡の創設から300年以上が過ぎると、馬の扱いに慣れた武士が関東に多く現れるようになった。彼らの先祖を辿っていけば、おそらく若光の一団に行き着くのではないだろうか。
そんなふうに想像してみると、若光の影響力が関東に強く残ったことがうかがえる。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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