日本でも大きな人気を博した『イ・サン』と『トンイ』。この二つの傑作時代劇が深くつながっていることを連想させる場面がある。鍵を握るのはいったい、どんな宝飾品だろうか。
英祖の最期
まずは、先につくられた『イ・サン』(2007~2008年の制作)から見てみよう。第44話で21代王・英祖(ヨンジョ)は、病状が重く死期が近いことを悟り、病床にソンヨン(22代王・正祖〔チョンジョ〕の幼なじみ)を呼ぶ。彼女に描いてほしい絵があったからだ。ソンヨンの絵の旨さは以前から知っていた。
おそるおそるソンヨンが英祖の前に進み出ると、英祖はソンヨンに「亡き息子の肖像画を描いてくれ」と言う。その息子とは、英祖の怒りを買って米びつに閉じ込められて餓死した長男の思悼世子(サドセジャ)のことだった。
ソンヨンは、英祖が口で言う通りの風貌を描く。出来上がった肖像画をしみじみと見つめる英祖。息子を殺した後悔にさいなまれる。その末に息絶える。
その報を聞いて、王宮では誰もがひざまずいて号泣していた。その中に呆然と立ち尽くしながら、ソンヨンは振り返る。英祖の長男の肖像画を描いたときに、英祖から指輪をもらったことを……。
それは、円形の翡翠(ひすい)が二重になった指輪だった。美しい光沢を見せている。英祖はその指輪をソンヨンに渡しながらこう言う。
「これは余の生母でいらっしゃる淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏が余に残してくださったものだ。受け取りなさい。余に貴重な絵を描いてくれたお礼として、これをそなたにあげよう」
恐れ多くてソンヨンが指輪を譲られることを辞退する。
「いただくわけには……。そのような貴重なものをなぜ私のような者に?」
英祖も譲らない。
「構わない。そなたがサン(正祖)の古い友だと聞いた。受け取りなさい」
王にここまで言われて固辞するわけにもいかない。ソンヨンが受け取ると、英祖は「これからも友としてサンのことを頼む」と最後の願いをする。
そんな場面を振り返りながら、ソンヨンは英祖から受け取った指輪を大切そうに握りしめた。
現実的には、王宮内の下働きにすぎないソンヨンが王から形見の指輪をもらうことはありえないが、英祖が淑嬪・崔氏(ドラマ『トンイ』の主人公)の名を口にすることで、彼がいかに生母を慕っていたかがよくわかる場面であった。
英祖は1776年に亡くなっている。ドラマの上とはいえ、英祖がソンヨンに指輪を贈ったのは1776年ということになる。
それから80年ほどの時間をさかのぼってみよう。
今度はドラマ『トンイ』の一場面だ。
19代王・粛宗(スクチョン/在位は1674~1720年)の側室となったトンイ(淑嬪・崔氏)は、粛宗に挨拶に出向く。そのときに、王から愛情の証としてもらったのが翡翠の指輪だった。
この瞬間に、視聴者はニヤリとしたはずだ。先に制作された『イ・サン』で翡翠の指輪を出し、3年後に制作された『トンイ』で再び同じものを出す。設定のうえでは、両場面の間には80年の時間差がある。
その長き時間を越えて同じ指輪が存在することで、形のうえで『トンイ』と『イ・サン』はつながったのである。
同時に視聴者は、トンイが英祖を産んで立派な王に育てたということを二つのドラマを通して実感できた。
『イ・サン』も『トンイ』も韓国時代劇の巨匠と称されるイ・ビョンフン監督の作品だが、彼は“翡翠の指輪”を通してそれぞれのドラマが長い歴史の中で切れない糸のようにつながっていることが示した。
文=康 熙奉(カン ヒボン)