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過去の記事一覧
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それぞれの幸せ/誰かが読んでくれる物語2
その年賀状を見るのは毎年苦痛だった。家族写真を載せており、これ以上はないという感じの家族がそこに写っていた。ひるがえって、私はどうなのか。様々な思いが元旦から頭の中をめぐっていた。 … -
息子の成長/誰かが読んでくれる物語1
父親は息子が生まれた時、あまりにうれしくて、二階から落ちそうになった。人生最高の感激だったと言ってもいい。小学校に入った時も大いに期待した。しかし、息子の成績は良くなかった。 … -
日本と韓国の歴史を振り返る/第15回「元寇」
日本は、7世紀や8世紀に中国大陸の唐や朝鮮半島の新羅に使節を派遣して政治制度や生活様式を学んだ。しかし、国内で政治体制を確立してからは隣国との接触に積極的ではなくなった。以後、日本は大陸にあまり目を向… -
日本と韓国の歴史を振り返る/第14回「高麗郡の誕生」
西武池袋線は、池袋から西武秩父まで通っている鉄道だが、中間に位置する飯能駅の2つ先に「高麗(こま)」という駅がある。駅名からしていかにも高句麗にゆかりがありそうな土地である。 [caption … -
日本と韓国の歴史を振り返る/第13回「大磯に定住した高句麗人」
新羅と唐の連合軍は、660年に百済を滅ぼしたあと、次に高句麗の攻撃を狙った。危機を感じた高句麗は、666年に援軍要請のための使節を日本に派遣した。その中に若光(じゃっこう)がいた。彼は高句麗の王族の1… -
日本と韓国の歴史を振り返る/第12回「近江の石塔寺」
百済から日本に渡来してきた人々の多くが定住した場所が近江であった。近江というのは江戸時代までの国名だが、近淡海(ちかつあわうみ)という古称に由来している。この場合の淡海とは琵琶湖のことで、近江は「琵琶… -
日本と韓国の歴史を振り返る/第11回「百済寺跡と鬼室神社」
660年に百済が滅んだあと、多くの難民が日本に渡ってきた。百済では最後の国王であった義慈王(ウィジャワン)の直系子孫は絶えたが、日本には義慈王の息子の勇がいた。この勇は、663年の白村江の戦いに敗れた… -
日本と韓国の歴史を振り返る/第10回「白村江の戦い」
660年、百済が新羅と唐の連合軍によって滅ぼされた。都の扶余(プヨ)は7日間燃え続けた。百済の王家も崩壊した。ただし、復興を信じて局地的に戦ったのが鬼室福信(キシルポクシン)である。百済最後の国王であ… -
日本と韓国の歴史を振り返る/第9回「京都と秦氏」
古代の渡来人の集団の中でも特に有力だった秦氏(はたうじ)。この一族が日本に来たのは、4世紀から5世紀の頃と推定される。以後、秦氏は渡来系として急速に勢力を拡大。彼らは、養蚕機織や農業灌漑の技術を持って… -
日本と韓国の歴史を振り返る/第8回「高句麗と日本」
中国大陸で589年に隋が統一を果たすと、高句麗(コグリョ)は身が凍るほどの脅威を感じた。それまで高句麗は日本と関係を保っていなかった。しかし、隋の攻撃を受け始めると、「西から侵攻を受けるなら、東の国と…