走ることは生きること
円谷の自殺の報に接して、多くの識者が「日の丸の重圧」「メダル主義の犠牲」といったコメントを繰り返していたが、それは円谷の自尊心に配慮が足りない論調だったのではないか。
自殺の原因の核心はわからない。
自衛隊員としての責任感も強かったし、意中の女性との結婚を上官に反対されて悩んでいたという噂も聞かれた。
しかし、極度に重圧がかかる地元開催で42・195キロメートルに立ち向かった勇者が、その程度で自らの命を絶つとは思えない。
志半ばで長距離走者としての終焉に立ち向かわなければならなかった現実こそが円谷を苦悩させたのだ。
内気で几帳面な性格だった円谷は、周囲との関係に神経をすりへらすタイプの青年だった。
そんな彼が真の自分でいられたのは、無心に走っているときだけだったに違いない。その生き甲斐を奪われて、彼は絶望の淵に立った。
競技生命を終えても、指導者としてマラソンに関わる選択がありながら、あえてその道を選ばなかった。
円谷にとって、走ることは生きることであった。それほどに走りと自分を昇華できたランナーは彼の他に1人としていない。
文=康 熙奉(カン ヒボン)