歴史探訪!日本の古戦場〔第2回/賤ヶ岳〕

_MG_3839

地図で自分が立っている位置を確認する

_MG_3834

週末にはハイキング客が多い

秀吉が後継者の座を射止めた

信長の家臣としての格からいえば、勝家のほうが秀吉より上。だが、明智光秀を倒して秀吉も勢いを得ていた。

しかも、弔い合戦に勝利した点で有利だった。

ただし、秀吉はこの「清洲会議」では、病気と称して議論に加わらなかった。それでも、丹羽長秀が秀吉の主張に同調して、信長の後継者は三法師に決まった。

とはいえ、このときに三法師はわずか3歳。実質的には、後見人となった秀吉が後継者の座を射止めたことが明らかだった。

同時に、遺領の分配においても、秀吉は思うがままになった。

納得できないのが勝家である。

ついに秀吉を討つ覚悟を決めた。

両者の対決が不可避となった。小競り合いのような戦いを経て、1583年4月16日に本格的な軍事衝突になった。(ページ3に続く)

固定ページ:
1

2

3 4

注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

ページ上部へ戻る