死ぬ間際まで
三成は捲土重来を期して逃亡したが、9月23日に近江・伊香郡の岩穴で捕らえられた。他に、伊予の大名・安国寺恵瓊と肥後半国の大名・小西行長が捕縛された。
以上の3人は、大坂と堺で市中引き回しにされたあと、10月1日に京で罪人としてさらし者になった。
最後は斬首。
三成は檻に入れられて刑場に向かった。
途中で三成は湯がほしいと言った。
護送の役人が「代わりにこれを食え」と干し柿を三成に投げた。しかし、三成は食べなかった。
「柿は痰の毒になる」
それが理由だった。
最後まで生に固執したのだが、それは、大将たる者は死ぬ間際まで再起をあきらめないという気持ちのあらわれだったのか。
結局は六条河原で首をはねられたのだが……。
文=康 熙奉(カン ヒボン)