朝鮮王朝で一番美しい王女と呼ばれた敬恵(キョンヘ)王女

敬恵王女の願い

貞熹王后に預けた敬恵王女の息子はどうなったであろうか。
この息子を貞熹王后は王宮で、女の子の服を着せて育てた。そこまで用心しても、最後まで隠し通せるものではなかった。いつしか、世祖の知るところとなった。観念した貞熹王后は、本当のことを世祖に話した。
意外にも、世祖はその子を膝に抱いて可愛がった。子供に罪はない、という思いが強かったのだろう。長く丈夫に育ってほしいという願いを込めて、世祖は自らその子に眉寿(ミス)という名を付けた。




そればかりか、世祖は敬恵王女の身分を回復して王宮のそばにりっぱな屋敷まで用意した。まさに破格の待遇だが、それを敬恵王女はきっぱりと拒絶して尼になってしまった。ただ、ずっと仏の道につかえる気持ちはなかった。
4年目に還俗した敬恵王女は、息子と娘が連座制の罪から解かれることを切に願った。子供たちにはまだ、極刑となった父の罪が及んでいたのである。
世祖はその願いを受け入れた。
その報を聞いて、敬恵王女は喜びの涙を流した。苦難多き彼女の人生の中で、それはようやく訪れた安堵の瞬間だった。
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