韓国が日本の植民地になって何が起きたのか

大韓民国臨時政府

1926年には、朝鮮王朝最後の王だった27代王・純宗(スンジョン)が亡くなりました。6月10日に国葬が行なわれましたが、その際に「独立万歳」を叫んだ学生たちと日本の官憲が衝突しました。再び抗日運動が激化したのです。
1929年、朝鮮半島西南部の光州(クァンジュ)で日本人学生が朝鮮の女学生を侮辱したことがきっかけで激しい抗議運動が起き、1919年の3・1独立運動以来の大規模デモが各地で起きました。
抗議運動だけでなく、独立をめざす闘争も活発になっていきます。
特に大きな組織となったのが、上海にできた大韓民国臨時政府でした。
なぜ大韓民国臨時政府が上海を拠点にしたのでしょうか。




それは、多くの独立運動家が上海に亡命していて、そこに同志が多かったからです。
その大韓民国臨時政府の首班となったのは李承晩(イ・スンマン)です(後に1948年に建国した大韓民国の初代大統領になっています)。
しかし、李承晩は指導力不足で同志から糾弾され、その後は金九(キム・グ)が指導的な立場になりました(金九は解放後の南北分断に反対した人でしたが、暗殺されてしまいました)。
結局、大韓民国臨時政府は大衆の広範な支持を集めることができませんでした。内紛が多かったことも組織の拡大につながらず、日本の追及を受けて中国各地に拠点を移さざるをえませんでした。
大韓民国臨時政府とは別に、朝鮮半島北部ではパルチザン活動が局地的に行なわれていました。その中で指導的な立場になったのが金日成(キム・イルソン)でした。(ページ4に続く)

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トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?

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ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

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