『秘密の扉』に登場する英祖(ヨンジョ)とイ・ソン(思悼世子)の親子関係は?

 

英祖(ヨンジョ)の長男は1719年に生まれた孝章(ヒョジャン)だが、9歳で病死してしまった。英祖の落胆は甚だしかったが、1735年にようやく待望の二男が生まれた。それが、生まれつき聡明だったイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)である。




老論派の策略

イ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)は2歳のときに「孝経」を暗唱したと伝えられる。この「孝経」は儒教の教典の一つで、徳の根本に“孝”を置いて各身分の心構えを説いている。
2歳という年齢を考えれば、どのくらい暗唱できたのか疑問の残るところだが、神童ぶりを示す一例であることは確かだ。
その後も大人を驚かす早熟ぶりを見せて、将来の名君を予感させた。ところが、思わぬ落とし穴があった。
頭脳明晰だったイ・ソンが、10歳にして、当時の主流派閥だった老論派を批判してしまったのだ。これを契機に老論派はイ・ソンのことを警戒するようになった。
英祖は出来がいい息子の存在を頼もしく思い、イ・ソンが14歳の頃から一部の政治を代行させた。このときにイ・ソンと老論派の相性の悪さが決定的になり、老論派はイ・ソンの足を引っ張り始めた。
具体的には、イ・ソンの素行の悪さが英祖の耳に自然と入るように仕向けたのだ。イ・ソンにも非があったが、老論派のやり方は狡猾(こうかつ)だった。
心配した英祖は何度もイ・ソンを呼んで問いただすようになった。あまりに息子に期待しすぎていただけに、その反動で英祖の叱責も激しくなるばかりだった(英祖とイ・ソンの確執については『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』〔康熙奉(カン・ヒボン)著・実業之日本社〕で詳しく解説されています)。




重圧を受けたイ・ソンは精神が鬱屈(うっくつ)し、次第に父の言うことを聞かなくなった。こうして親子の確執が深刻になったが、その間も老論派はイ・ソンが不利になるような工作を繰り返した。
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