朝鮮王朝の歴史はこうなっている(前編)

 

朝鮮(チョソン)王朝は1392年に建国されて1910年まで続いた。なんと518年に及ぶ長い王朝で、日本でいえば室町時代から明治時代まで存続した。なぜこれほど長期にわたって政権を維持できたのか。

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ソウル中心部にある世宗の銅像




典型的な中央集権国家

長い王朝を維持できた要因はいくつかあるが、大きいのは早期に王権を確立できたことだ。初代王から4代王までの約50年間に王朝の基盤が整備され、王の権限が朝鮮半島の隅々まで行き渡る制度が機能するようになった。これが安定的な内政につながったのである。
また、統治のための官僚制度が中央から地方に至るまで組織化されたことも有利だった。王朝にとって一番恐いのは地方豪族の反乱だったのだが、この点でも官僚制度が有効に機能して内乱の芽がつまれていった。
もう一つ見逃せないのは儒教の存在だ。朝鮮王朝の前の高麗(コリョ)王朝では、あまりに仏教を優遇しすぎたために、寺院や僧侶が大きな力を持ってしまった。その結果、寺院は私有財産を増やし、僧侶が政治に介入して内政が混乱した。こうした前例に懲りて、朝鮮王朝では仏教を迫害して儒教を国教に指定した。




儒教は秩序ある生活規範となり、民心の安定に寄与した。また、序列や男尊女卑を認める儒教は、朝鮮王朝が決めた厳格な身分制度を守るうえで都合が良かった。
このように、独自の官僚制度と儒教の採用が朝鮮王朝の安定に寄与した。
しかし、いいことばかりではない。王が官僚を頼りにしすぎたために、官僚は派閥を組んで権力闘争に明け暮れた。
これは、朝鮮王朝の病巣ともいえるもので、官僚同士の激しい対立が何度も国難を招いている。また、儒教的な格式主義が実学の発達を遅らせ、経済が停滞する要因になったことも確かだ。
こうした負の要素が19世紀以降に吹き出して、朝鮮半島の近代化が遅れる原因となった。その結果、欧米列強や日本による圧力を受けて、朝鮮王朝は徐々に崩壊の道をたどったのである。
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