文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)の悪行を暴く!

 

朝鮮王朝時代に王宮で起こった奇怪な事件として有名な「灼鼠(しゃくそ)の変」。この事件は韓国時代劇でも何度か取り上げられたが、どの作品でも文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)が共謀して起こしたという筋書きになっていた。

写真=韓国MBC公式サイトより




世子の誕生日の出来事

「灼鼠(しゃくそ)の変」は1527年に起こっている。
当時は11代王・中宗(チュンジョン)の統治時代だったが、世子(セジャ/王の正式な後継者)は12歳になっていた。
世子の実母はすでに他界していて、中宗の三番目の正室だった文定王后が世子の継母におさまっていた。
こういう人間関係を理解したうえで、事件のあらましを見てみよう。
世子が誕生日を迎えたとき、東宮(王宮の一部で世子が住んでいる)の庭にあった大木の枝に、焼かれたネズミの死骸が掛かっていた。
東宮だけではなかった。
大殿(王の居室)の近くでも、焼かれたネズミの死骸が発見された。
この仕業には、どんな意味があったのか。
実は、世子は子(ね)年だった。それだけに、ネズミの死骸は世子の不吉な将来を暗示する役割を果たした。




さらには、世子を呪詛(じゅそ)するために、わざわざ2カ所に死骸を放置したと推察された。
宮中が大騒ぎになった。
焼かれたネズミを木の枝にぶらさげるというのは、あまりに大胆な手口であった。
中宗の命令によって、徹底的な犯人捜しが行なわれた。
死骸を見つけた女官や、発見場所のそばにいた者たちが厳しい尋問を受けた。
しかし、犯人がわからなかった。
(ページ2に続く)

朝鮮王朝で一番ひどい極悪ファミリーとは?

朝鮮王朝を激震させた「呪いの三大悪女」とは誰なのか?

朝鮮王朝の三大悪女の最期はこんなにも悲惨だった!

朝鮮王朝の「ウラの3大悪女」はなぜ恐ろしいのか

朝鮮王朝で「3大悪女」のような悪女たちがなぜ生まれたのか

「3大悪女」よりもっと性格がひどい悪女だった側室は誰なのか

固定ページ:

1

2 3

注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

ページ上部へ戻る