朝鮮王朝の歴史は、初代王・太祖(テジョ)から16代王・仁祖(インジョ)までを前期、それ以降を後期と分けるのが基本である。そして、前期と後期では王が抱える側室の数がまるで違った。
後期に側室が減った事情
朝鮮王朝の前期は、王族の男子が多いほうが後継者が不足しなくていい、という考え方のもとで、王はやたらと側室を抱えて子供を増やした。
一番子供が多かったのは3代王の太宗(テジョン)で、正室から8人、側室から21の子供が生まれている。
2番目に子供が多かったのは9代王の成宗(ソンジョン)で、正室から3人、側室から25人も生まれている。
このように、正室と側室の合計数で上位にいるのは、のきなみ前期の時代の国王であった。
前期には平均しても王は10人前後の側室を抱えたというから、側室の各部屋を一つひとつまわるだけでも大変な日数がかかっていた。
しかし、朝鮮王朝も後期になると事情がガラリと変わる。
儒教の礼儀にやたらとうるさくなった関係で、「王といえども側室をたくさん抱えるのはいかがなものか」という風潮になってきたのだ。
その結果、側室の数が激減した。
普通は3人くらい、多くても5人程度になった。
それでは、正室と側室の合計人数が多かった国王を見てみよう。
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