廃位となった光海君
王になった定宗だが、実質的な権力は芳遠が握っていた。定宗自身そのことを誰よりもわかっていた。そのため、定宗はわずか2年で王位を芳遠に譲って隠居した。
王位を退いた定宗は、その後19年間、自由気ままに暮らした。芳遠もそんな定宗に対する気づかいを最後まで忘れなかった。とはいえ、退位後に何の問題もなく長生きしたのは定宗ぐらいである。
15代王・光海君(クァンヘグン)は、定宗とは対照的な晩年を過ごした。
彼は定宗とは違い、退位したのではなく1623年にクーデターで王宮を追われて島流しにされた。最終的に光海君が配流されたのは、都からもっとも遠い済州島(チェジュド)であった。
光海君はいつか来る再起のときを、じっと待っていた。しかし、そんな機会は訪れるはずもなかった……。
1641年、王位を剥奪されて18年、66歳になった光海君は、済州島で1人寂しく息を引き取った。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
正室と側室の合計人数が一番多かった国王は誰か/朝鮮王朝ランキング2