日本と韓国の歴史を振り返る/第22回「朝鮮通信使」

対馬藩の重要性

朝鮮王朝と徳川幕府は良好な善隣関係を築いていたのだから、日本の使節を漢陽まで呼び入れて沿道でお披露目したほうがずっと良かった。そうすれば、日本で朝鮮通信使が熱狂的に迎え入れられたように、日本の使節も朝鮮半島で大歓迎されたであろう。それはお互いを知る重要な一歩になったはずだ。
いずれにしても、釜山が日本の使節に開かれた唯一の場所だったが、ここには対馬藩が倭館を造っていた。
この倭館には対馬藩から派遣された500人ほどの人が住んでいた。内訳は、役人、通訳、医師、僧侶、商人、水夫などである。
対馬藩が倭館を造った目的は貿易の活性化だ。その際に得た利益が対馬藩の生命線であり、その権益を独占できたのは徳川幕府を代理して朝鮮外交の実務を引き受けていたからだ。
朝鮮王朝もそれをよく知っていて、対馬藩に定期的な外交団を送っていた。この外交団の規模は小さかった。総勢は100人前後であったという。正式な朝鮮通信使と比べると、はるかに少ない。




しかし、回数がずっと多かった。江戸時代に通算で50回以上も対馬に来ている。朝鮮通信使の来日が12回なので、ほぼ4倍の多さである。朝鮮王朝にとっても、対馬藩は日本外交において絶対不可欠な存在だった。
(次回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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