朝鮮王朝が激怒
朝鮮王朝も、凶作が続いていたにもかかわらず国王の外戚が政治を牛耳り、国内が混乱するばかりだった。
これでは日本に目を向ける余裕すらない。
こうして、長く続いた善隣関係は完全に途絶えてしまった。
そんな状況の中で、先に倒れたのが徳川幕府だった。1867年10月、15代将軍・徳川慶喜は大政を朝廷に奉還した。
264年も続いた徳川幕府が終焉したのである。
翌年早々に戊辰戦争が起こり、日本国内が内乱状態になったが、9月には会津若松城が落城し、旧幕府軍はほぼ一掃された。
徳川幕府に代わって誕生した明治維新政府は、1868年10月に「大政が変わったことを朝鮮王朝に伝えよ」と対馬藩に命じた。
その12月、対馬藩の使節が朝鮮王朝に明治天皇の国書を渡した。その文面を読んだ瞬間に朝鮮王朝側が激怒した。
絶対に許せない文字が文面にあったからだ。
それは、皇帝を意味する「皇」と、皇帝の命令を意味する「勅」である。
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日本と韓国の歴史を振り返る/第26回「政変に揺れる朝鮮王朝」