女傑の五大王妃/朝鮮王朝人物特選6

朝鮮王朝後期の2人

◆明聖(ミョンソン)王后
〔1642~1683年〕
18代王・顕宗(ヒョンジョン)の正妻で、19代王・粛宗(スクチョン)の母であった。張禧嬪(チャン・ヒビン)の欲望に気づいて、彼女を王宮から追放したこともある。また、性格が勝ち気で、王朝の最高会議に出て自ら政治を仕切ろうと試みた。1683年、粛宗が原因不明の病にかかったとき、助けたい一心で、真冬にもかかわらず水浴びの苦行を続け、それが元で亡くなった。

◆純元(スヌォン)王后
〔1789~1857年〕
23代王・純祖(スンジョ)の正妻で、『雲が描いた月明り』の主人公イ・ヨンのモデルとなった孝明世子(ヒョミョンセジャ)の実母だった。




純元王后は、実家の安東(アンドン)・金(キム)氏が重職を独占する際に重要な役割を果たした。また、25代王・哲宗(チョルチョン)を即位させるために暗躍し、王室の権力をほしいままにした。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

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