日本と韓国の物語「第2回/浅川伯教・巧(後編)」

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浅川兄弟の故郷の風景

兄弟を引き寄せた力

浅川兄弟が育った高根町の風景が目の前に広がっている。周囲を囲む山の稜線がとても美しい。
今でこそ、そこかしこに稲穂が見えているが、兄弟が育った19世紀の末頃には、どれほど農作物が収穫できたのであろうか。標高700メートルの高地だけに、思うように作物が育たなかったのではないか。
そんな中で、兄弟は大地の懐に抱かれて成長した。まさに、彼らは山河に育てられたのである。
その兄弟の故郷である高根町は、かつて北巨摩郡に属していた。「巨摩(こま)」という地名に彼らは何を思ったか。
この「巨摩」という漢字は「高麗(こま)」が転じたものである。日本の古代で「高麗」は、朝鮮半島の強国だった高句麗を指している。
この国は新羅・唐の連合軍によって668年に滅ぼされたが、その後に多くの人々が日本に渡来している。山梨県の「巨摩」という地名は、そこに高句麗の人々が数多く住んでいたことを暗示しているのだ。




浅川兄弟を朝鮮半島に誘(いざな)ったのが、その地名が持つ見えない引力であったかもしれない。
今、高根町は周辺のいくつかの町と合併して北杜(ほくと)市となった。市制となった以上、住所から郡名は消える。しかし、浅川兄弟が北巨摩郡の生まれであったという過去は消えない。彼らは、高句麗と日本をつなぐ細い糸をたぐり寄せるために朝鮮半島に渡ったのかもしれない。
そう空想すると、人間が自分の力では抗えない何かが胸に迫ってくる。
朝鮮の美術品の価値を高めたことでは柳宗悦が有名だが、兄弟で揃って朝鮮半島に大きな功績を残したという点で、伯教と巧の存在感も際立っている。
さらに、故郷にりっぱな資料館ができ、浅川兄弟にとってこれほど名誉なことはないだろう。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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