謙譲の心遣い
『海游録』には、そのときの雨森芳洲の次のような言葉が記されている。
「日本人の学んで文をなす者は、貴国とは大いに異って、力を用いてはなはだ勤むるが、その成就はきわめて困難である。公は、今ここより江戸に行かれるが、沿路で引接する多くの詩文は、必ずみな朴拙にして笑うべき言であろう。しかし、彼らとしては、千辛万苦、やっと得ることのできた詞である。どうか唾棄されることなく、優容してこれを奨詡してくだされば幸甚」
要するに、雨森芳洲は申維翰に対して「道中で文化交流が行なわれるとき、日本側の詩文は未熟なものが多いが、大目に見てください」と頼んでいるのである。
雨森芳洲の言葉から察せられるのは、彼の謙譲の心遣いである。遠来の客人を讃えて、自らへりくだっているのだ。ここまで謙虚に言えるところに、雨森芳洲の腰の低さがうかがえる。
とはいえ、雨森芳洲は言うべきところはズバリと指摘している。日本外交を担う立場として、決してひるんでいない。
特に、雨森芳洲と申維翰は出会ってそうそうに、礼の解釈をめぐって対立している。そこにはどんな背景があったのであろうか。
(後編に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)