日本と韓国の物語「第9回/李秀賢(後編)」

 

4代続いた日本との関係

事故から12日後の2001年2月7日。私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)が李秀賢さんの釜山(プサン)の実家を訪ねたとき、父親の李盛大(イ・ソンデ)さんが意外なことを教えてくれた。
「私たちは4代にわたって日本と深いつながりを持っています。もともと私の父は、慶尚道(キョンサンド)の出身です。父は貧しい生活からの脱出を夢見て、日本に渡ることを決意しました。父が16歳のときのことです。父は日本で必死に働いて生活の基盤をつくりました。そして、祖母に先立たれていた祖父を日本に呼んで一緒に暮らしました。その祖父は日本で亡くなったのです。私は1939年に大阪で生まれています。日本も戦時下で父は徴用されてしまい病に倒れました。生活の糧を失い、1944年に慶尚道に戻ってきたのです。秀賢にしてみれば、曾祖父が日本で亡くなり、祖父も生活のために日本に行って徴用で苦労させられ、父も日本で生まれて5歳まで大阪にいました。『ウチの家は日本とつながりがあるなあ』と思ったことでしょう」




4代にわたって続いていた日本との深い関係。そのつながりを感じながら秀賢さんは来日し、その地で命を落としてしまった。
(ページ3に続く)

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