『イ・サン』の主人公の正祖は本当に名君だった?

優秀な人材を育成した

実際の奎章閣には、どの派閥の色にも染まっていない有能な若手が次々と集められていた。最終的には100人以上の官僚や学者が集まるようになった。
象徴的だったのは、正祖が自ら身分の垣根を乗り越えようとしたことだ。本来なら身分が低いという理由で重用されなかった若手もどんどん奎章閣に採用された。これこそが正祖がめざした改革の一つだった。
それ以前の朝鮮王朝は、あまりに厳格な身分制度を守りすぎて優秀な人材を生かせていなかった。
正祖はその弊害を改めるために、奎章閣をその実験場の一つにした。
結果は、正祖の狙い通りになった。低い身分とはいえ重責を与えると、多くの若手が想像以上に能力を発揮した。
手応えを感じた正祖は奎章閣の機能を強化し、ここを舞台にして国政の様々な改革を進めていった。




そんな名君であった正祖も、1800年に急死してしまう。反対勢力に毒殺された、という風評が強い。
本当に正祖は毒殺されたのだろうか。そうであるならば、朝鮮王朝にとっては甚大な損害だった。
正祖以降は政治が乱れ、朝鮮王朝は衰退の道をたどっていった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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