激動の歴史を記録する2「世祖の非道」

王の座を奪った首陽大君

金宗瑞を殺害した首陽大君は王である端宗のもとへ行き、「国の乗っ取りを考えていた金宗瑞を処罰しました」と報告した。その後、王命を出させて高官たちを招集させると、首陽大君の側近が、集まった高官たちを王宮の狭い門から1人ずつくぐらせて、首陽大君に批判的な高官たちを殺害した。
それによって、政権の高官たちはすべて首陽大君の息のかかった者たちになり、政権の重職を独占したのである。そして1455年に、首陽大君は甥の端宗を上王(サンワン)に祭り上げて、7代王・世祖(セジョ)として即位した。




朝鮮王朝では、王位をめぐるような事件が多く起こっている。今回の世祖による王位強奪事件もそうだが、特に多かったのが親族同士による骨肉の争いである。いくら王の座をめぐるものだとしても、親族同士の争いは本当に悲惨なできごとであることは間違いない。

文=康 大地(コウ ダイチ)

激動の歴史を記録する1「燕山君の悪行」

激動の歴史を記録する3「仁粋大妃の脅迫」

激動の歴史を記録する4「光海君の没落」

固定ページ:
1

2

注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

ページ上部へ戻る