- Home
- 過去の記事一覧
カテゴリー:時代劇の登場人物
-
慈愛の金万徳(キム・マンドク)/美女たちの朝鮮王朝3
済州島(チェジュド)の貧しい家に生まれた金万徳(キム・マンドク)は、優しい両親と弟に囲まれ、幸せに暮らしていた。しかし、12歳の時に両親は他界。残された姉弟は、別々の家で小間使いとして暮らすことになっ… -
絶賛の敬恵(キョンヘ)王女/美女たちの朝鮮王朝2
朝鮮王朝5代王・文宗(ムンジョン)の娘である敬恵(キョンへ)王女は、朝鮮王朝の歴史上“最も美しい王女”と言われた女性だ。王族の娘は、10代半ばになると嫁に行かなければならず、敬恵王女は、名門出身のエリ… -
妖艶な黄真伊(ファン・ジニ)/美女たちの朝鮮王朝1
朝鮮王朝時代に名をとどろかせたもっとも有名な妓生(キーセン)だった黄真伊(ファン・ジニ)。妓生とは、歌や踊りで男性を接待する職業の女性を指す。黄真伊の正確な生没年はわからないが、関係のあった人物から推… -
トンイとチャン・ヒビン!2人の死後に息子たちは?(歴史編)
張禧嬪(チャン・ヒビン)は1701年に死罪になっている。その17年後の1718年に淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)が48歳で亡くなった。淑嬪・崔氏はドラマ『トンイ』の主人公になった女性だ。 … -
絶世の美女と称されたチャン・ヒビンの絶頂期はいつ?(歴史編)
1680年の秋、19代王・粛宗(スクチョン)は女官だった張禧嬪(チャン・ヒビン)の美貌に目を見張った。この年には粛宗の最初の正妻だった仁敬(インギョン)王后が亡くなっているが、粛宗の心はすでに張禧嬪し… -
トンイと張禧嬪はなぜ争ったのか4「王の母になった2人」
「朝鮮王朝実録」の1701年9月23日の記述を見ると、粛宗(スクチョン)が張禧嬪(チャン・ヒビン)の行状を罵倒しています。「就善堂(張禧嬪の住まい)の西側にひそかに神堂を建てて、いつも2、3人の怪しげ… -
トンイと張禧嬪はなぜ争ったのか3「窮地に陥った張禧嬪」
粛宗(スクチョン)は、一度は廃妃にした仁顕(イニョン)王妃を復位させようとしました。それは同時に、張禧嬪(チャン・ヒビン)の王妃失格を意味していました。こうして南人派が弱くなり、西人派が勢いを強めてい… -
トンイと張禧嬪はなぜ争ったのか2「淑嬪・崔氏の登場」
「朝鮮王朝実録」の1689年5月6日の記述です。粛宗(スクチョン)は重臣を集めて、1日も早く王妃を決めなければならないと語った後、「張禧嬪(チャン・ヒビン)をただちに王妃に冊封(王族の重要な地位に任命… -
トンイと張禧嬪はなぜ争ったのか1「仁顕王妃の廃妃」
ドラマ『トンイ』では、主人公のトンイと張禧嬪(チャン・ヒビン)が激しく戦いました。史実では、2人はどのようにライバルとなっていったのでしょうか。朝鮮王朝の正式な歴史書である「朝鮮王朝実録」を通して、ト… -
朝鮮王朝で一番の聖女だった王妃は誰なのか?(歴史編)
朝鮮王朝には王妃が42人いたが、典型的な悪女だったのが文定(ムンジョン)王后と貞純(チョンスン)王后だ。2人は権力を握って悪行を繰り返した。こうした悪女と正反対で、一番の聖女と言われた王妃は誰だったの…