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トンイと張禧嬪(チャン・ヒビン)を比べたらどちらが悪女?
ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の… -
激動の歴史を記録する6「張禧嬪の死罪」
19代王・粛宗(スクチョン)が張禧嬪を王宮の中で見初めたのは1680年頃と言われている。そのとき、粛宗は19歳で、張禧嬪は21歳だった。粛宗の母・明聖(ミョンソン)王后は、張禧嬪を警戒した。欲の深さが… -
絶世の張禧嬪(チャン・ヒビン)/美女たちの朝鮮王朝5
「朝鮮王朝三大悪女」の1人、張禧嬪(チャン・ヒビン)。その強烈な生き様は後世の人たちを魅了し続けている。彼女は、多くの時代劇に登場しては、主役級の輝きを見せている。史実の彼女は、いったいどんな女性なの… -
トンイとチャン・ヒビン!2人の死後に息子たちは?(歴史編)
張禧嬪(チャン・ヒビン)は1701年に死罪になっている。その17年後の1718年に淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)が48歳で亡くなった。淑嬪・崔氏はドラマ『トンイ』の主人公になった女性だ。 … -
絶世の美女と称されたチャン・ヒビンの絶頂期はいつ?(歴史編)
1680年の秋、19代王・粛宗(スクチョン)は女官だった張禧嬪(チャン・ヒビン)の美貌に目を見張った。この年には粛宗の最初の正妻だった仁敬(インギョン)王后が亡くなっているが、粛宗の心はすでに張禧嬪し… -
トンイと張禧嬪はなぜ争ったのか4「王の母になった2人」
「朝鮮王朝実録」の1701年9月23日の記述を見ると、粛宗(スクチョン)が張禧嬪(チャン・ヒビン)の行状を罵倒しています。「就善堂(張禧嬪の住まい)の西側にひそかに神堂を建てて、いつも2、3人の怪しげ… -
トンイと張禧嬪はなぜ争ったのか3「窮地に陥った張禧嬪」
粛宗(スクチョン)は、一度は廃妃にした仁顕(イニョン)王妃を復位させようとしました。それは同時に、張禧嬪(チャン・ヒビン)の王妃失格を意味していました。こうして南人派が弱くなり、西人派が勢いを強めてい… -
トンイと張禧嬪はなぜ争ったのか2「淑嬪・崔氏の登場」
「朝鮮王朝実録」の1689年5月6日の記述です。粛宗(スクチョン)は重臣を集めて、1日も早く王妃を決めなければならないと語った後、「張禧嬪(チャン・ヒビン)をただちに王妃に冊封(王族の重要な地位に任命… -
トンイと張禧嬪はなぜ争ったのか1「仁顕王妃の廃妃」
ドラマ『トンイ』では、主人公のトンイと張禧嬪(チャン・ヒビン)が激しく戦いました。史実では、2人はどのようにライバルとなっていったのでしょうか。朝鮮王朝の正式な歴史書である「朝鮮王朝実録」を通して、ト… -
トンイはなぜチャン・ヒビンの死後に粛宗から冷遇されたのか
トンイは歴史上では淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏と言われている。彼女は1670年に生まれ、後に粛宗(スクチョン)の側室になった。史実の淑嬪・崔氏はドラマとは違う顔を持っていたようだ。 …