織田信長の後継者の座を争った柴田勝家と秀吉。両者が激しく激突した場所が賤ヶ岳だ。標高は421メートル。琵琶湖の北端にある頂上からの眺めがすばらしい。古戦場めぐりの楽しみを満喫できるところだ。
勝家と秀吉の対立
織田信長が「本能寺ノ変」で倒れたあと、信長後の織田陣営の先々を決める重要な会議が開かれたのは1582年6月27日だった。
この日、清洲城には織田家の重臣たちが勢ぞろいした。
呼びかけ人は柴田勝家だった。
彼は信長の弔い合戦で秀吉に先を越されてしまった。そのあせりからか、勝家は清洲城での会議で織田家を主導する立場を明確にしようとした。一番重要だったのは、信長の後継者を誰にするかということだった。
ここで、勝家と秀吉が対立する。
勝家が強く支持したのは信長の3男だった信孝だった。
一方の秀吉は、父の信長と一緒に「本能寺ノ変」で命を落とした嫡男・信忠の遺児だった三法師を推した。(ページ2に続く)