朝鮮王朝の歴史はこうなっている(中編)

派閥闘争の激化

燕山君という暴君がいるかぎり、王朝の将来は不安だらけだった。危機を感じた高官たちはクーデターを起こし、燕山君は即位12年にして追放された。彼は島流しにされ、わずか30歳で世を去った。
代わって11代王となった中宗(チュンジョン)は、燕山君がメチャメチャにした内政を立て直し、民心を落ちつかせた。ようやく朝鮮半島にも春が訪れたのだが、その安らぎの中で次第に頭をもたげてきたのが高官たちによる派閥闘争だった。
高官は科挙制度に合格して出世してきたエリートである。朝鮮王朝でも賢い人ばかりのはずなのだが、儒教の観念的な部分を勝手に解釈して敵対勢力の追い落としに執着した。粛清の嵐が吹き荒れ、政権内部は混迷をきわめた。これで内乱が起きなかったのが不思議なのだが、すでに朝鮮王朝の統治機構は官僚同士がもめても屋台骨がグラつかないほどしっかりしていた。




しかも、16世紀後半には儒教の大学者が立て続けに輩出して、朝鮮王朝の正統性を裏付ける理論作りも進んだ。
そんな中で朝鮮王朝は1592年に建国200周年を迎えた。本来なら慶祝にあたいする年なのだが、現実は逆だった。豊臣軍が攻めてきて朝鮮半島は戦火にまみれた。
当初は、豊臣軍が連戦連勝だった。なにしろ、日本はずっと戦国時代が続き、兵士たちは戦いに慣れていた。また、いちはやく日本には鉄砲が伝わっていて、これが強力な武器になった。
豊臣軍は都の漢陽(ハニャン/現在のソウル)を落として快進撃を続け、14代王の宣祖(ソンジョ)はすぐに都を捨てて北方に逃げるしか他に方法がなかった。
しかし、豊臣軍の勢いは続かなかった。明からの援軍、各地に生まれた民兵の反抗に加えて、李舜臣(イ・スンシン)将軍が率いた水軍が海上で勝利を重ねた。豊臣軍にとっては、海を抑えられて補給路を断たれたのが痛かった。




しばらくは戦況も膠着状態が続いたが、1598年に豊臣秀吉が世を去り、日本も軍勢を引き返して戦争は終わった。
朝鮮王朝はなんとか国土を守ったが、こうむった被害はあまりに大きかった。復興に時間がかかり、国内では不安定な時期が続いた。

(後編に続く)

朝鮮王朝の歴史はこうなっている(前編)

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