『オクニョ』で強烈な悪女として描かれた文定(ムンジョン)王后!

 

『オクニョ 運命の女(ひと)』を見ていて強烈だったのが、文定王后の悪女ぶりだった。それは、史実でも変わらなかった。なぜ、これほどの悪女が王妃になり、最終的に大妃(王の母)になれたのだろうか。

写真=MBC公式サイトより




再び王妃の座が空いた

文定王后は、11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正室であった。
中宗は、9代王・成宗(ソンジョン)の二男であり、本来なら王になれる可能性はなかった。兄の燕山君(ヨンサングン)が10代王として即位していたからである。
しかし、史上最悪の暴君と呼ばれた燕山君は、1506年にクーデターによって廃位となってしまった。その結果、燕山君の異母弟であった中宗が11代王として即位した。
しかし、中宗は、クーデターを成功させた官僚たちにまったく頭が上がらなかった。
中宗の正室は端敬(タンギョン)王后で、2人は大変仲のいい夫婦だったのだが、官僚たちは、即位したばかりの中宗に離婚を迫った。なぜならば、端敬王后は燕山君の妻の姪であり、父親も燕山君の側近だったからだ。つまり、クーデターを成功させた官僚たちは、端敬王后があまりにも燕山君の関係者に近すぎたために、後に利用されて燕山君派の巻き返しに遭うのを恐れたのである。
中宗は王なのだから、いくら官僚たちから言われても「それは絶対にできぬ」と拒めばいいのだが、意気地がなかった中宗はそれができずに言いなりになって妻を離縁した。




そんな彼が再婚した相手が、章敬(チャンギョン)王后だった。
彼女は1515年に、中宗の長男を産んだ直後に他界してしまい、再び王妃の座が空いてしまった。
その結果、三番目の正室として迎えられたのが文定王后だった。つまり、文定王后は、自分が思いもよらぬ形で王妃まで上りつめたのである。
(ページ2に続く)

「朝鮮王朝三大悪女」よりもっと強烈な悪女とは?

「朝鮮王朝三大悪女」の中で誰が一番の悪女か?

『オクニョ』でチン・セヨンが扮した茶母(タモ)とは何か?

『オクニョ』を通して朝鮮王朝の制度と王家の何がわかったのか?

『オクニョ』の悪徳夫婦の最期はドラマと違って史実ではどうだった?

ページ:

1

2

注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

ページ上部へ戻る