文定王后の暴政
文定王后の息子は13代王・明宗(ミョンジョン)として即位した。彼は11歳と幼かったため、文定王后が垂簾聴政を開始した。
彼女は“朝鮮王朝3大悪女の1人”と評される鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)を側近にして、国を意のままに操った。
文定王后の支配力は、明宗が成人になっても変わることがなかった。明宗も母を止めようとしたが逆らえず、母の暴政に何度も涙を流したといわれている。
1565年、文定王后が65歳で亡くなると、ようやく明宗は自らの政治を行なえるようになった。しかし、文定王后の暴政の心労がたたったのか、その2年後に明宗も命を落としてしまった。
最後に、垂簾聴政の長さをランキングにしてみよう。
〔垂簾聴政を長く行なって女帝のようにふるまった王妃〕
順位 王妃の名 期間
1位 純元王后 10年
2位 文定王后 8年
3位 貞熹王后 7年
4位 貞純王后 4年
文=康 熙奉(カン ヒボン)
正室と側室の合計人数が一番多かった国王は誰か/朝鮮王朝ランキング2