日本と韓国の歴史を振り返る/第13回「大磯に定住した高句麗人」

渡来系の神社

若光に率いられた一派は、まず大磯に定住して、そこから相模国の一円に広がっていった。
『大磯町史』はこう書いている。
「若光が後代に神と崇められるほど、渡来した高句麗人の拠り所となる人物であったこと、彼を慕う高句麗人が相模国では多く大磯の地に居住していたこと……などは史実と見なしてよいであろう」
大磯で若光が住んだと推定される場所が現在の化粧坂である。現在の地名も「高麗」になっている。古代の日本では高句麗のことは高麗と呼ばれていたが、その名称が地名に残っているのだ。
この他にも、大磯には高麗とつく名称がある。化粧坂の北側に隆起している高麗山がそうだ。標高168メートル。お椀をひっくりかえしたような形をしている。
その高麗山のふもとに位置しているのが高来(たかく)神社である。




かつては高麗寺と呼ばれた。鎌倉時代には、源頼朝の夫人であった政子が安産の祈願をするほどの大寺だった。江戸時代も格式の高さを誇ったが、明治維新後の神仏分離政策(王政復古と祭政一致を推し進めるために各地の仏堂や仏像を破壊した政策)によって、高麗寺も仏教寺院としての存続が不可能となり、高麗神社に変わってかろうじて生き残った。その後には「高麗」という漢字も敬遠されて、高来神社に名を変えている。
この他にも、神奈川県には渡来系の神社が多い。箱根町の駒形神社、小田原市の白髭神社、秦野市の加羅古神社、平塚市の駒形神社などだが、それらは若光とその一派が相模で幅広く活動した名残と見ることができる。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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