朝鮮王朝では4代王・世宗(セジョン)と22代王・正祖(チョンジョ)が名君としてあまりに有名だが、その2人以外にも強力な王権を発揮した国王が5人いた。その5人とは、李成桂(イ・ソンゲ)、太宗(テジョン)、成宗(ソンジョン)、粛宗(スクチョン)、英祖(ヨンジョ)である。
朝鮮王朝前期の3人
◆李成桂(イ・ソンゲ)
〔1345~1408年〕
初代王の太祖(テジョ)。在位は1392~1398年。高麗王朝末期に武将として頭角を現し、1388年に最高権力者となる。1392年に高麗王朝を滅ぼして朝鮮王朝を創設した。1393年に国号を“朝鮮”に決め、1394年に都を漢陽(ハニャン/現在のソウル)に移して朝鮮王朝の基盤を固めた。1398年に隠居して1408年に亡くなった。
◆太宗(テジョン)
〔1367~1422年〕
3代王。在位は1400~1418年。朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)の五男で名は芳遠(バンウォン)。1398年に起こった“第1次王子の乱”で世子(セジャ)に決まっていた異母弟の芳碵(バンソク)を殺して王位継承者の地位を確保。1400年の即位後は朝鮮王朝で強力な王権を確立した。1418年に息子の世宗(セジョン)に王位を禅譲して上王となり、軍事を掌握して権力を維持した。
◆成宗(ソンジョン)
〔1457~1494年〕
9代王。在位は1469~1494年。7代王・世祖(セジョ)の孫。12歳で即位したために世祖の正妻だった貞憙(チョンヒ)王后の摂政を受けたが、成人してから政治的な手腕を発揮。特に、朝鮮王朝の法体系を決定づけた『経国大典』を1485年に完成させている。
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