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過去の記事一覧
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日本と韓国の物語「第10回/布施辰治(前編)」
宮城県石巻市の蛇田地区。「あけぼの南公園」という小さな公園がある。そこを訪ねたのは2009年12月のことだった。私は公園の端にあった横長の顕彰碑に近づき、ずっと見ていた。 [caption id… -
日本と韓国の物語「第9回/李秀賢(後編)」
JR新大久保駅で、線路に落ちた人を助けようとして2001年1月26日に亡くなった李秀賢さん。彼が通っていた赤門会日本語学校には全国から多数の手紙と見舞金が寄せられた。 [caption id="… -
日本と韓国の物語「第8回/李秀賢(中編)」
2001年1月26日にJR新大久保駅で、線路に落ちた人を助けようとして電車にひかれて亡くなった李秀賢(イ・スヒョン)さん。私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)が、釜山(プサン)にある李秀賢さんの実家を訪ねたの… -
日本と韓国の物語「第7回/李秀賢(前編)」
2001年1月26日の午後7時15分頃のことだった。場所はJR新大久保駅のプラットホーム。そこで飲酒していた男性(37歳)が、ふらふらして山手線の内回りの線路に落ちた。それを見た2人の男性が、落ちた男… -
日本と韓国の物語「第6回 余大男(後編)」
豊臣軍による朝鮮出兵の際、13歳の余大男(ヨ・デナム)は加藤清正の軍につかまり、日本に連れてこられた。利発だった彼は僧侶としての修行を積み、1609年に29歳の若さで本妙寺(ほんみょうじ)の住職になっ… -
日本と韓国の物語「第5回 余大男(前編)」
熊本に出掛けてみると、地元では今でも英傑として加藤清正が讃えられていることがよくわかる。タクシーの運転手さんも「熊本の歴史に残る人物といえば、まずは加藤清正公です」と大きな声で言っていた。ただし、江戸… -
日本と韓国の物語「第4回/雨森芳洲(後編)」
朝鮮通信使の制述官であった申維翰(シン・ユハン)と、対馬藩で通訳を担当した雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)。2人が対立する発端は、申維翰が対馬藩主に招待されたことだった。 [caption id… -
日本と韓国の物語「第3回/雨森芳洲(前編)」
私が初めて雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)のことを強く意識したのは1990年のことだった。この年、韓国の盧泰愚(ノ・テウ)大統領が来日して国会で演説をしたのだが、そのときに、日本と朝鮮半島の交流に尽力… -
日本と韓国の物語「第2回/浅川伯教・巧(後編)」
浅川兄弟の弟の巧(たくみ)は、1891年(明治24年)に生まれた。兄の伯教(のりたか)より7歳下である。山梨県立農林学校を卒業し、秋田県の営林署に勤めて植林の仕事に従事した。彼はいつも「山野、木、草、… -
日本と韓国の物語「第1回/浅川伯教・巧(前編)」
日本の統治下にあった朝鮮半島で、陶磁器の研究や林業の発展に貢献したのが、山梨県出身の浅川兄弟だった。兄が伯教(のりたか)で、弟が巧(たくみ)。この兄弟の足跡を追ってみよう。 [caption i…