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過去の記事一覧
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イ・ソジンが『イ・サン』で見せた最高のアドリブとは?
2007年に韓国で放送された時に最高視聴率38・9%を記録した『イ・サン』。あまりの人気の高さに、当初は全60話の予定を全77話まで延長したほどだった。この傑作で、主役のイ・ソジンが披露した抜群のアド… -
傑作『イ・サン』の主役にイ・ソジンが選ばれた理由とは?
朝鮮王朝27人の王の中で名君として尊敬を集める正祖(チョンジョ)の波乱に満ちた生涯を描いた『イ・サン』。この壮大なドラマは、父と子(孫)、母と子、組織におけるリーダーシップ、王がめざすべき政治の根本、… -
イ・サン(正祖)が即位直後に一番やりたかったことは?
1776年、24歳で正祖(チョンジョ/ドラマ「イ・サン」の主人公)は王になった。即位後の第一声は「嗚呼!寡人は思悼世子の子なり」という言葉だった。この「寡人(クァイン)」というのは、王が自分のことをい… -
『イ・サン』の主人公の正祖は本当に名君だった?
朝鮮王朝時代の名君と言えば、なんといっても、ハングルを作った4代王・世宗(セジョン)があまりに有名だ。今でも韓国の小学校に行けば世宗の銅像がよくあるし、1万ウォン紙幣の肖像画になっている。この世宗に名… -
『イ・サン』が描いた英祖と思悼世子の悲劇とは?
1762年、21代王の英祖(ヨンジョ)は息子の思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めてしまう。思悼世子の素行の悪さに英祖が激怒した結果だった。果たして、結末はどうなったのか。 … -
日本と韓国の物語「第15回/日延(後編)」
26歳のときに誕生寺の貫主となった日延。その功績は大きかった。祖師堂を建立したことでも知られており、誕生寺の宝物館に行くと、今でも祖師堂を建立したときに日延が書いた棟札(むねふだ)が残っている。日付は… -
日本と韓国の物語「第14回/日延(前編)」
JR外房線の安房小湊駅で降りると駅前に人影はまばらで、タクシーが列をなして客を待っていた。時期は7月の第2週目であった。あと1週間もすれば子供たちも夏休みとなり、大勢の海水浴客が訪れることだろう。しか… -
日本と韓国の物語「第13回/若光(後編)」
JR大磯駅の東側2キロメートルのところにある高来(たかく)神社。鎌倉時代から格式がある大寺として知られ、源頼朝の政子夫人も安産祈願をしたという記録が残っている。ここはかつて高麗(こま)寺と呼ばれていた… -
日本と韓国の物語「第12回/若光(前編)」
666年のことである。朝鮮半島の高句麗(コグリョ)から外交使節が来日して、日本の朝廷に依頼書を差し出した。彼らは、何のために日本に来たのか。救援の軍勢を送ってほしいと頼みに来たのである。 [ca… -
日本と韓国の物語「第11回/布施辰治(後編)」
日本国内で朝鮮半島出身者の弁護に精を出す中で、布施辰治は植民地下の朝鮮半島に何度も渡っている。1923年には独立運動家を弁護するために朝鮮半島に行っているし、以後も1926年、1927年と現地に入り、…