人はなぜマラソンを走るのか(中編)

敵は自分自身だった

アベベは1932年に生まれた。19歳のときに皇帝の親衛隊に入隊してからマラソンを始めた。

エチオピアの首都アジスアベベは標高2500メートルにあり、酸素が少ない高地で徹底的に走りこむことで、アベベは強靱な心肺機能を築き上げた。アベベの活躍で、高地トレーニングが一躍脚光を浴びるようになった。

4年後の東京五輪。競技の1カ月前に虫垂炎の手術を受けて不調が伝えられながら、アベベは独走で五輪2連覇を達成した。表情を変えず淡々と走る彼の姿は、深淵な世界に思いをはせる哲学者のように見えた。

アベベは言った。

「敵は他の67人ではなかった。私自身だった」

他をぶっちぎってゴールインしたあと、アベベは係員が差し出す毛布を受け取らず、平然と整理体操を始めた。

その悠然として姿は、まさに孤高の勇者だった。

でも、彼が走り続けることができた期間は、それほど長くなかった。東京五輪の5年後に交通事故で下半身の自由を奪われ、さらに4年後には41歳の若さながら心臓マヒで急死した。

史上最強のランナーは、短すぎる期間に生を凝縮させて疾走し、走れなくなった時点で宿命のように生を終えた。(ページ5に続く)

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