社会の混乱に便乗する勢力
いくら趙光祖の言葉でも、中宗はそのまま受け入れるわけにはいかなかった。
「臣下の者たちがもめてはいけない。それこそ国が混乱してしまうではないか」
こう言って、中宗は趙光祖の申し出を退けた。
その後、趙光祖は7回に渡って嘆願してきたが、中宗は首を縦に振らなかった。
落胆した趙光祖は、若い支援者と共に辞職した。
中宗は直々に復職を求めたのだが、趙光祖も頑固だった。
その過程で、結果的に中宗はクーデターの多くの功労者たちの武勲を剥奪したのだが、あまりにも強引な趙光祖に少しずつ不信感をもつようになった。
とはいえ、趙光祖ほど有能な人物がいないことも確かであり、中宗は彼を強く拒むこともできなかった。
しかし、王の心が趙光祖から離れたことを確認した勲旧派たちは、「今までの怨みを晴らしてやる」といきりたった。
そんなとき、朝鮮半島を大きな地震が襲った。
不安におそれおののく人々。こうした社会の混乱を好機ととらえる勢力があった。
趙光祖に反旗をひるがえした人たちは、どさくさにまぎれて王宮の中の葉っぱに蜂蜜で「走肖為王」という漢字を書いた。
これは、虫が蜂蜜の部分だけを食べて文字が自然に浮かびあがったように見せる細工でもあった。
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