国王になれなかった「悲劇の五大世子」とは誰か(再読版)

ドラマに登場する2人

◆思悼(サド)世子
〔1735~1762年〕
21代王・英祖(ヨンジョ)の息子。幼い頃から聡明で後継者としての期待が高かった。しかし、精神的な重圧に耐えきれず、素行が乱れた。英祖の逆鱗(げきりん)に触れて自決を命じられた。従わないでいると、米びつに閉じ込められて、8日目に餓死した状態で発見された。息子が名君として名高い22代王・正祖(チョンジョ)である。




◆孝明(ヒョミョン)世子
〔1809~1830年〕
23代王・純祖(スンジョ)の長男。1827年、18歳で父の政治を代行するようになった。人事面や法制面で優れた統治能力を見せ、名君になる素養を感じさせた。しかし、21歳で早世。その死を誰もが惜しんだ。パク・ボゴムが主演した大ヒット時代劇『雲が描いた月明り』の主人公イ・ヨンのモデルとなっている。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

悲劇の三大世子!昭顕(ソヒョン)世子・思悼(サド)世子・孝明(ヒョミョン)世子

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トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?

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注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

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