朝鮮王朝の歴史はこうなっている(後編)

亡き父の名誉を守る

英祖の孫が22代王の正祖(チョンジョ)である。
父が祖父によって餓死させられているので、本当につらい少年時代を過ごした。なおかつ、王朝内の権力闘争に巻き込まれて命を狙われる危険性が高かった。それだけに、正祖は服を着たまま寝ていたといわれている。そうやって用心しながら過ごしたのち、正祖は1776年に即位した。
彼も祖父が採用していた蕩平策を受け継ぎ、公平な人事を行なった。そのうえで、生活に役立つ実学を奨励して、さまざまな技術の発達を促した。また、文芸復興に熱心だったのも正祖の治世の特徴だった。
とはいえ、正祖が今も韓国の人々にとても尊敬されているのは、大変な親孝行だったからだ。




彼は亡き父の名誉を回復することに心血を注いだ。その一環として、漢陽(ハニャン/現在のソウル)の南に位置する水原(スウォン)に父の墓を移した。そこが、風水で占うと一番の適地だったからだ。そして、墓参りを欠かさず、一時は都を水原に移そうと本気で考えていた。
それは実現しなかったが、父のために遷都までしようというのだから、正祖の親孝行ぶりは徹底していた。
正祖は1800年に亡くなり、政治は再び混乱していった。以後は、外戚が権力を操る政治が続き、官僚の腐敗が顕著になった。
世界の情勢は激しく変化していた。
そんな激動の時代にも朝鮮王朝では前近代的な政治がまかりとおり、結局は世界の大勢から大きく遅れてしまった。




やがて欧米列強や日本の圧力が強くなり、19世紀後半には政権が弱体化して朝鮮半島全土が統治不能に陥った。
その結果、1910年に日韓併合が行なわれ、朝鮮王朝は27代王・純宗(スンジョン)を最後に518年の歴史に終止符を打った。

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