死の間際に願ったこと
夫の情けない姿を見た申師任堂は、裁縫用のハサミを取り出すと、「夫が夢を簡単にあきらめるのなら、私は命を絶ちます」と言って、自害しようとした。
妻の崇高な気持ちに気付いた李元秀は、大いに反省し、今度こそ科挙に合格するまで帰宅しなかった。
子育てや夫の出世を祈る甲斐甲斐しさ、生活に対する倹約ぶり。これらは今もなお高く評価されていて、彼女は「良妻賢母の鑑」「国民の母」として敬われている。
李元秀にとって申師任堂は自慢の妻だった。彼は常日頃から彼女の助言にはしっかりと耳を傾け、彼女の才能が発揮される機会を作るためにも尽力した。
1551年、李元秀が仕事で地方へ行っている間に申師任堂は48歳で亡くなってしまう。彼女が死の間際にこう語った。
「私が死んでも再婚しないでください。私たちは7人の子をもうけましたから、これ以上増やすことはありません」
申師任堂は、新しい母親のもとで子供たちに苦労をさせたくなかったのだが、彼女の願いは、当時の男尊女卑の社会では、なかなか難しい要望といえた。しかし、妻を愛し尊敬していた李元秀は、その言葉を死ぬまで守り通した。