光海君は暴君ではなく名君?(歴史編)

見方が変わってきた

「孝」を最高の徳目とみなす儒教を国教にしている朝鮮王朝では、「息子」が「母」を処罰することがあってはならない。
この点では、クーデター軍の言い分には一理がある。
ただし、光海君を追放して王位に就いた16代王の仁祖は、自らの正統性を強調するのに必死であった。
そこで、徹底的に光海君を悪者に仕立てあげた。その非難が定着し、以後の朝鮮王朝で光海君は暴君と言われ続けた。




しかし、歴史研究が進むと、光海君に対する見方は変わってきた。光海君を「卓越した外交戦術家」と評価する論調が増えたのだ。
果たして、光海君は暴君なのか。
いや、そうではなかったのか。
少なくとも、10代王の燕山君(ヨンサングン)のような、救いようがない最悪の暴君ではなかった。もしかしたら、名君だったかもしれない。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

朝鮮王朝の怪物国王!光海君(クァンヘグン)

金介屎(キム・ゲシ)!光海君(クァンヘグン)の裏で暗躍した女官

『華政』の主人公/貞明(チョンミョン)公主の人生!

貞明(チョンミョン)公主!苦難を乗り越えて大地主になった王女

仁祖(インジョ)は貞明公主(チョンミョンコンジュ)に特別待遇を与えた!

即位してから評判が最悪だった仁祖(インジョ)!

固定ページ:
1

2

注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

ページ上部へ戻る