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タグ:朝鮮王朝
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最悪の暴君と呼ばれた燕山君(ヨンサングン)は何をしたのか
朝鮮王朝の27人の王の中で、最悪の暴君と呼ばれているのが10代王・燕山君(ヨンサングン)である。王として即位した彼は、数々の暴政を行なったのだが、いったい何をしたのだろうか。 … -
朝鮮王朝の怪物国王!光海君(クァンヘグン)
14代王の宣祖(ソンジョ)は、朝鮮王朝で初めて側室から生まれた国王だった。そんな彼には多くの息子たちがいたが、側室から生まれた王子ばかりだった。その長男が臨海君(イメグン)で二男が光海君(クァンヘグン… -
『七日の王妃』の端敬(タンギョン)王后はなぜ復位できなかったのか
『七日の王妃』の主役となっているのは端敬(タンギョン)王后だ。彼女は廃妃(ペビ)になってしまったのだが、その後に復位させるという話もあった。しかし、それがなぜ実現しなかったのか。 &nb… -
英祖(ヨンジョ)は景宗(キョンジョン)のおかげで国王になれた!
1720年に19代王の粛宗(スクチョン)が世を去った後に王位を継いだのは、張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子の景宗(キョンジョン)だった。そして、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏(『トンイ』の主人公)の息子… -
『イニョプの道』が描く歴史が興味深い!
最近の韓国時代劇は、朝鮮王朝の建国当初を描いた作品が多いが、『イニョプの道』もその1つだ。物語の骨子は、「高貴な生まれのお嬢様が陰謀に巻き込まれて没落。苦境の中から必死に這い上がっていく」というものだ… -
英祖(ヨンジョ)はイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)の死後に後悔した!
1724年、21代王・英祖(ヨンジョ)が即位した。英祖の最初の妻は貞聖(チョンソン)王后だが、2人には子供がいなかった。代わりに、側室の映嬪(ヨンビン)・李(イ)氏が産んだ英祖の息子がイ・ソンこと思悼… -
英祖(ヨンジョ)はイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)に自決を命じた!
朝鮮王朝で起こった悲劇の筆頭は、英祖(ヨンジョ)が息子のイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)を餓死させた事件だ。素行が悪かったイ・ソンに英祖は腹を立てていたが、イ・ソンに謀反の疑いがあるという告発も出て… -
光海君(クァンヘグン)の斬首を執拗に主張した仁穆(インモク)王后!
1623年3月13日の明け方、綾陽君(ヌンヤングン/後の仁祖〔インジョ〕)に統率されたクーデター軍は、内通者の協力を得て王宮内に入り込み、重要な拠点を次々と占拠した。虚をつかれた光海君は、無駄な抵抗を… -
張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子の景宗(キョンジョン)はどんな王だったのか
1720年6月8日に19代王の粛宗(スクチョン)が亡くなった。それによって、粛宗と張禧嬪(チャン・ヒビン)との間に生まれた世子(セジャ)が20代王・景宗(キョンジョン)として即位した。 [cap… -
朝鮮王朝三大悪女の鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)は救いようがない悪女!
鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)の母は奴婢(ぬひ)だったために、普通なら鄭蘭貞も同じ境遇で生きなければならなかったのだが、彼女は自ら妓生(キセン)となって人生の上昇気流に乗ろうとした。 …