生気を奪われた王
地方でひっそり暮らしていた尹元衡と鄭蘭貞だが、追手にビクビクする生活を続け、ついには自害せざるをえなかった。
実に哀れな最期だった。
一方、文定王后は仏教の保護を死ぬまで願っていたが、明宗はどう対応しただろうか。亡き母の意思をくんであげたのか。
否である。
ようやく絶対的な王として君臨できるようになった明宗は、国の方針である崇儒排仏(儒教を崇めて仏教を排斥すること)にこだわった。
彼は政治的にも一本立ちしたのである。
権力欲に取りつかれた文定王后が亡くなったあと、庶民は明宗の善政に期待した。しかし、気苦労の絶えなかった彼は、母の死の2年後に、床に伏せるようになった。
1567年、まだ33歳だったのだが、明宗はそれ以上生きられなかった。
悪政を繰り返した母に生気を奪われた、と言っても過言ではない。それほど、心優しき明宗は、母からストレスを受け続けた。
それが身体に影響した。
典型的な悪女だった文定王后は、我が子の命まで縮めてしまったのである。
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