文定王后の最期
「これは絶好の機会です。政敵が落書きを書いたことにして、奴らを徹底的につぶしてしまいましょう」
尹元衡は文定王后にそう進言した。
文定王后と尹元衡は、様々な口実を作って反対派に厳罰を与えた。
結局、強大になりすぎた文定王后の一派を誰も止められず、国政は非常に不安定になっていった。
1565年、明宗が即位して20年が経った頃、文定王后は死の床にあった。彼女は最期のときを迎えても、信奉していた仏教の将来を案じていた。しかし、本来の国教は儒教であり、仏教は排斥の対象となっていた。
「この国では仏教は異端なので、私の死後、殿下はこれを禁止するかもしれません。でも、せめて宮中では私の意思を尊重してください」
文定王后はそう願いながら他界した。
こうなると、辛い立場に追い込まれたのが、尹元衡と鄭蘭貞だ。
2人は最大の後ろ楯を失って、身の危険を感じた。
すぐに王宮から逃亡してしまった。
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